代々受け継がれている熊本の呉服屋
創業元禄四年
阿波屋の歴史
江戸時代の文化6年(西暦1809年:第11代将軍家斉の時代)肥後藩主細川家の江戸屋敷が火災になり、当家(福冨家)先祖阿波屋第10代目助右衛門が銭壱貫目(3750g・銭形平次が投げる一文銭一千枚寄附したと細川家の永青文庫第2編近世888ページ260『高瀬の者寸志の覚』に左記の通り書き写してありました。(玉名史書)
高瀬は肥後5か町の1つ。(熊本町・川尻町・高橋町・八代町・高瀬町)町の玄関に当たる住環の出入り口には石橋が造られるなど栄華を極めていました。そのうち木屋・米屋・代物屋・荒木屋・煙草屋・油屋・和泉屋・槌屋・筑前屋・菓子屋・松屋・阿波屋・高津屋・麩屋・諸国屋・高砂屋などが...寄附は全部で28軒ありました。
享和年間頃に当時の菩提寺であった大覚寺が火災に遭い、延供年間以前の過去帳が消失してしまい、それ以前の記録はたどれませんでしたが、阿波屋はそれ以前より名字(福冨姓)帯刀が許されていました。
現在まで熊本で続く
阿波屋の15代目までは玉名市高瀬215番地(本籍地・現在の玉名衣料)で昭和33年8月迄営業。その後熊本市二本木町、そして先々代の時玉名市亀甲49を経て、平成5年9月に現在の玉名市松木中央通り22-1に新築移転致しました。
また、当家の古い御先祖は繁根木八幡宮より応和元年(西暦961年:1049年前)玉名に持ってきた中の1人だと伝えられています。(口伝)
平成22年(2010年:200年以上)の現在まで引き続き営業しているのは阿波屋一軒のみで、熊本県下では各業種併せて5番目に古い歴史を持ちます。(2010年帝国データバンク調べ)
◎家紋は江戸時代に、名字は明治3年より明治8年の間に徴兵制の為にできた云われています。